アトリエの前でを読んで。

今月(2021年5月号)の松村北斗くんが東海Walkerで連載しているエッセイ「アトリエの前で」を読みました。

 

発売前から公式のTwitterの方で編集部の方が今回のエッセイについて言及していて、あまりこういう言及の仕方をされたことはなかったので期待半分怖さ半分で発売を待っていました。

 

細かい内容はぜひ彼が書いた文を読んで欲しいので書きませんが、まだ事務所に入りたての中学生だった頃に静岡出身であること、新幹線を利用して毎回東京に来てお仕事をしていることを公言している時に起こった「ある事」が題材になっており、芸能人の方の(正しいか正しくないかわからないような)個人情報がインターネットに書き込まれていくことの怖さや奇妙さを描いていました。

 

 

エッセイに書かれている回想シーンの北斗くんはまだ義務教育中の少年。今ほどネットは発達していなかった反面ルールも無く無法地帯のようになっている掲示板なども多かった時代だったでしょう。ただでさえ慣れない土地で慣れない仕事をしている彼にとって、顔も名前も知らない人が自分のパーソナルな情報を知っていることを知った恐怖は計り知れないと思います。

 

恐怖を感じながらも、相手はファンなので無下にできない、何事もなかったように明日からも生活しなければならないし、ステージに立たなければいけないし、新幹線を使ってまた家に帰らなければいけない。考えただけでもぞっとします。

 

 今回彼が言及した話は今のジャニーズJr.が晒されている現状でもあります。(もちろんジャニーズに所属している人すべてに当てはまるし、人前に出る仕事をしている人の中には彼のような経験をしたことがある人は数えきれないほどいると思います)

 

Jr.が出演している公演の出待ち後、少し距離を空けて何人かでカメラを構えながら悪気もなく後をついていく人。事務所近くでレッスン終わりの時間(?)に数人組でずっとJr.の帰りを待っている人。時にはカメラを構えその動画をネットで流したり、もっと酷い時には売ってお金を稼ぐ人。タレントとファンの境界線を軽々と超えている人をアイドルを応援していると沢山目にすることになります。

 

(個人的には撮影以外の遭遇情報もプライベートなのにあることないこと書かれて、本人達は相当しんどいだろうなと思うしあまり好きじゃ無い)

 

 

よく「芸能人はプライベートまで仕事のうち」という考えの人と出会います。別にその考えについて肯定も否定もしませんが、だからといってオフィシャルに公表されていないものを不特定多数の人が見るべき場所に書くべきではないし、詮索するべきではないと思うんです。公表されていないのはなぜかということを一度考えてほしいなと。

 

アイドルはファンの所有物でもないし、動物園の動物でもなく一人の人間で、私たちと同じように両親がいてもしかしたら兄弟がいて、友人がいるということを私たちは忘れてはいけないし、あくまで「仕事」として時には彼らの「仕事ではない部分」まで削って私たちに夢だったり希望だったりを与えてくれていることを忘れたくないなと思います。

 

今は芸能人の名前を検索するとサジェストに「実家」「兄弟」「高校」などプライベートな内容が出てきますし、情報源はどこなんだと突っ込みたくなるまとめサイトがすぐに出てきます。(結構詳しいところまで書いてあるサイトを時々見かけて怖くなる)

普通に考えれば不確かだと思う情報もなんだか正しく思えてきてしまったり、少しの事実が面白おかしく書かれていたり、まぁ信じるか信じないかはあなた次第というのがインターネットの大原則なんですけれども、何事も鵜呑みにする人に出会うと「うーむ」という気持ちになります。

 

ファンのちょっとの好奇心がアイドルにとっては忘れられない恐怖になること、(エッセイの中に出てきたファンの人も多分恐怖を与えたかったのではなく善意での行動だったと思います。そこが一番怖いんだけど。)SNSの使い方を間違えると大好きな人を傷つけることになるということ、インターネットに出た情報はもう無かったものにならないこと、(蜘蛛の巣に引っかかったもののように)胸に刻んでオタクしていきたいです。

 

 

最後に、以前自分が上京するときに父が愛車を売ったので、その車を買いの直したい(ニュアンス)とインタビューで答えていた北斗くんでしたが、今回も『父が頑張って建てた家』という言葉がエッセイの中にあり、彼の家族を思う気持ちだったり自分の仕事のために家族全員で上京したことへの感謝、それによって得たもの失ったもの、いろんな気持ちがこの言葉に込められているような気がして素敵な文を書く方だなと改めて思いました。